車載用通信ネットワークの”開国”

この2,3年間で“IoT”という言葉は、IT業界ではもちろん、一般の人でも多くの人が知るほど市民権を得た言葉になりました。私たちの身の回りの多くのモノがいずれネットワークに繋がり、今の生活をより便利に、そしてこれまでに不可能であったことが可能になる時代が到来しつつあります。自動車業界でもIoTの波は押し寄せてきており、コネクテッド・カーと呼ばれるクルマが開発され、各自動車メーカーはIoT化による新たな価値の創出に力を入れ始めています。

コネクテッド・カーは、簡単に言うと『インターネットとのインターフェースを持ち、何らかの情報を外部とやり取りする機能を持つクルマ』ですが、インターネット普及の歴史とクルマ開発の歴史を良く知る人からすれば、『クルマとインターネットを繋げるくらい、もっと昔からあっても良かったのでは?』と考えることもあるかも知れません。実はコネクテッド・カーの登場が遅れた背景には”車載用通信ネットワークの鎖国”があり、その鎖国こそがIoT化の最大の障害となっているのです。

今回のコラムでは、車載用通信ネットワークの技術を紹介しつつ、鎖国化に至った背景とそのネットワーク解放によるメリット・デメリットを解説します。

 

車載用通信ネットワークCAN(Controller Area Network)とは

出典:http://www.mentorg.co.jp/news_and_views/automotive/2014/autumn.html

現在販売されている自動車には数多くの電子システムが搭載されています。カーオーディオ、ナビゲーションシステムに始まり、クルーズコントロールシステムなどのドライバー運転支援システムまで、搭載されているシステムは多岐に渡ります。これらの車載用電子システムはCANと呼ばれる相互通信プロトコルにより、各システムのセンサー情報や演算結果を共有しています。

参考としてインテリジェントクルーズコントロールシステム(ICC)を例に、CANがどのように機能するのかを紹介します。ここではICCが、『ICC統合制御ユニット』、『エンジン制御ユニット』、『ブレーキ制御ユニット』によって構成されているとします。

各ユニットには複数のセンサーが搭載されており、クルーズコントロールで代表的なセンサーと言えば、前走車との距離を計測するレーダーセンサーなどがあります。エンジン制御ではエンジン回転数やアクセル開度、ブレーキ制御では各タイヤの回転数やブレーキの操作量などがセンサーによって計測されています。

そのセンサー情報はCANを経由して各ユニット間で共有されます。今回はクルーズコントロールシステムに注目しているため、その他の電子制御システムとCANの関係については割愛しますが、この他にも多くの電子制御システムが同じCANに接続されており、多くのセンサー情報が共有されています。

ICC統合制御ユニットはCANを経由して送信されてくる情報から、最適な車両速度、車間距離などを計算し、それを実現するのに必要なエンジン出力やブレーキ動作量を計算します。そして再びCANを経由して、計算結果を指令値としてエンジン制御ユニットおよびブレーキ制御ユニットに送信します。

このように、CANの登場により、これまで単独で存在していた制御システムの連携が可能となり、新たな機能を創出することが可能になりました。クルマの中だけの世界で言えば、実はすでに”コネクテッド”な関係がCANを中心として構築されていたのです。

 

なぜCANによる車載ネットワークは鎖国化されたのか?

その理由の一つは技術情報の流出防止です。一般的に新技術については、各自動車メーカーは必ず特許を取得した上でその技術を市販車に搭載します。しかし、特許には技術の概要に関する記載はあっても詳細に関する情報はありません。特許技術はあくまで特許であり、それを市販車に適用するにはそれなりのノウハウが必要となります。

実はCANはそのノウハウを知るための良質な情報源になりうるのです。もし、CANで共有されている情報が全て他メーカーにも解読できるようになってしまったらどうなるのでしょうか?たちまちリバースエンジニアリング(電子制御システムの動作状態から、制御システムの中身を推定する技術)の対象になってしまい、そのノウハウが流出することになります。このような状況を回避するため、各自動車メーカーはCAN信号の仕様(信号IDやビット配置)は公開しておらず、秘匿度の高い情報として管理しています。

ただし、全てのCAN情報が鎖国化されているかというと、そんなことはありません。OBD(On Board Diagnosis)と呼ばれる車両故障の診断に使われるシステムがあり、このシステムに限っては、エラーや故障の情報へのアクセスが許可されています。また、一部の車両情報(車速信号など)を確認することが出来ます。もちろん、CANに含まれる全ての情報からすると1%にも満たないわずかな情報です。また、OBDの機材はディーラーにおいてのみ使用可能であり、正に”長崎の出島”のようにCANは極端にアクセスが制限されたネットワークなのです。

 

Ethernetの導入による車載ネットワークの”開国”の可能性と課題

出典:http://www.automotive-eetimes.com/news/bosch-focus-cloud-connected-car-services

電子制御システムの増加により、膨大な情報がCANを使って共有されていることは先述した通りですが、すでに限界を迎えつつあります。このため、通信速度が圧倒的に速いEthernet導入について、ドイツのBOSCH社が提唱しています。インターネットがEthernetを使っている現状を鑑みれば、Ethernetを車載用に転用することは当然の選択と言えます。既存のプロトコルを使うため、通信速度の圧倒的な向上に加えインターネット上へのアクセスが容易になります。正に”コネクテッド・カー”には必須と言っても過言ではありません。

Ethernetの導入により想定されるメリットとしては、電子制御システムの遠隔アップデートが挙げられます。ソフトウェアに関するリコールが発生した場合、ユーザーはディーラーに車両を持ち込み、ソフトウェアのアップデート処理をする必要がありました。しかし、ネット経由で新しいソフトウェアにアップデート出来るので、ユーザーはソフトウェアの配信を待つだけで済みます。また、好みの運転フィールを実現するために、スポーティなエンジン制御マップやステアリングアシスト制御のロジックをメーカーHPからダウンロード販売で購入するなど、ユーザーカスタマイズなどにも活用出来そうです。

このように、これまで鎖国化されていた車両ネットワークがインターネットと繋がることで、これまでに想像もしなかった驚きの機能が実現されることになるでしょう。

一方でEthernetの導入による課題は何でしょうか?

それは”セキュリティの確保”です。これはEthernetの導入を提唱するBOSCH社も課題として認識しており、悪意のあるハッキングからクルマを守ることは最重要課題と言っても過言ではありません。セキュリティが不十分でハッキングされてしまった場合、走行中にクルマが突如加速し、意図しない方向に吹っ飛んでいくといったサイバーテロも十分に考えられます。

運転中の車両ハッキングは人命に関わる課題ですので、この点は自動車メーカーに限らず、IT業界も巻き込んでの十分な対策が必要と言えます。今後は自動車メーカーがインターネットセキュリティ会社と緊密な連携の下に協業していくことになりそうです。

 

まとめ

上述のように長らく「鎖国状態」にあった車載通信ネットワークですが、今後は自動走行技術の発達と伴走するようにクルマはめまぐるしいスピードでネットワーク化が進んでいくのではないかと想像します。もっといえば、クルマとクルマ、クルマと道路、クルマと家や建物など、都市全体がネットワークでつながっていく時代の到来もそう遠くないでしょう。

とはいえ、繰り返しになりますがそこにはハッキングや悪意あるサイバーテロの標的ともなりやすいという側面も持ちます。クルマのIoT化は、自動車技術のパラダイムシフトに繋がる可能性を大いに秘めていますが、PCや携帯電話と異なり人命に直結しているものなので、相応のセキュリティ対策や注意深い運用が必要になります。

今後のクルマの発達は、まさに技術発展とそれを逆手に取ろうとするサイバーテロリズムとの一進一退の攻防をくぐり抜けて行くことになるともいえそうです。


ライター情報
神野 研一
自動車工学エンジニア

国内自動車メーカーにて10年以上の開発経験を持つ。
専門は車両運動CAE、走行系制御開発、電子信頼性開発、実験技術など。
現在は英国に在住し、F1チームでVehicle Science Engineerとして活躍中。

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